はじめまして、あなたの可能性の扉をひらく 心理カウンセラー 片山 真由美です。

私は長い間、人に迷惑を掛けないように、ちゃんとしなきゃ、嫌われたくない・・・そんな思いを抱えて生きて来ました。

良い子だった私。でも、本当の私は「 私はどうしたい? 」ではなく長年、「 相手はどう思うだろう? 」と言う事を基準にして生きて来ました。

20代で出逢った男性との関係では、暴力があっても「 きっと誤解しているだけ 」と理解し続けようとし、ダウン症の子を持つ母になっても「 ひとりで頑張る 」を続ける中で、自分自身を見失い、もがき続ける中で、私の人生を大きく変えて行ったのは「 安心して話せる場所 」でした。

かつての私もそうだったのですが、初めてカウンセリングを受ける際には、「 どのような人からカウンセリングを受けるんだろう 」 と不安になりますよね。

カウンセリングは、カウンセラーとの相性がとても大切だと思います。

どんなカウンセラーなのかなという不安を払拭していただくためにも、ご参考になればと思い、私の経歴や、生い立ちについて書き記しました。

少し長いですので、お時間を作っていただき、ゆっくりと、ご一読いただけますと幸いです。

・1988年1月岡山県生まれ

・2010年理系大学を卒業の後、ドラッグストアに就職、登録販売者として勤務

・2014年26歳で育児に無関心な夫と結婚、27歳で障がいを持つ子を出産

・2023年離婚、二人の子供のシングルマザーになる

・2025年3月一般社団法人国際セルフコーチング協会・畑中映理子認定 ライトワーククリエイティブコーチ取得

・2026年1月JADP認定メンタル心理総合カウンセラー、上級心理カウンセラー取得

「良い子」を演じ続けた幼少期〜学生時代

「 みっともない(ふうがわるい) 」と言われないよう、「 人に迷惑をかけてはいけない 」「 ちゃんとしなくちゃ 」と自分を縛りながら私は育ちました。

世間的には、学級委員や生徒会長を務め、周囲からは優等生と見られていましたが、心の中では「 嫌われたくない 」「 雰囲気を壊したくない 」と過剰に気を遣い、常に「 母や周囲が自分を受け入れてくれるか 」を基準に人間関係を築いていたように思います。

本当の原点にあったのは、母との関係性でした。「 自分が誰と過ごしたいか 」ではなく、「 母がどう思うか 」を常に気にし、母を心配させまいと自分の感情を殺し続ける日々。

「 相手は私を受け入れてくれるだろうか 」という不安を打ち消すように自分から気を遣い、自分の主張ではなく相手に好かれるための努力を重ねることで、当時はなんとか自分の居場所を作ろうとしていました。

母は、私が意見を言うと、「 そうかもしれないけど、ものの言い方ってものがあるでしょう 」「 ひとりで大きくなったような顔をして、大間違いだ 」といつも正論で話題を逸らされてしまい、私自身の気持ちはいつも行き場を失っていたように思います。

まだまだ育ててもらっている立場、進路については応援してくれてやりたいことをやらせてもらっているのだから仕方がない、心配をかける私が悪い、と自分の主張を否定し続け、いつの間にか「 母に見守られていたいけど、干渉しないでほしい 」という矛盾を抱えながら生きるようになっていきました。

自分を見失った20代と悪循環のはじまり

20代で出会った男性は、感情をはっきりと言う人。当時、感情を出すのが苦手だった私には、とても魅力的に映りました。

ただ、彼は職を転々とし、支払いを滞納していたり、必要な手続きを放置していたり、私に暴言や手が出ることも多々あったんです。

それでも、「 人はなくて七癖。思いやりはあるし、ユーモアもあるし、たくさんのいいところがある。彼は世間から見ると“はみ出し者”なのかもしれない。でも、そんな彼の一番の理解者でありたい 」「 私が一番の理解者でいなければ 」と自分自身を納得させ、自身の交友関係は後回しにし1番に彼との予定を立てる……当時はそんな自分に幸せを感じていました。

また、「 人に迷惑をかけてはいけない 」と考え育ってきた私には、彼を放っておけず、まるで母親のように世話を焼いていたようにも思います。

それに反して彼は、「 口出しをするな 」と不機嫌になり、お酒が入ると些細な言葉のニュアンスから怒り出し、暴れることも多々ありました。

周囲のお友達は、そんな私をとても心配してくれていました。 それでも私は、「 彼が誤解しているだけかもしれない 」「 私は気にしないから彼が無事でいてくれたらそれでいい 」と、彼から離れるよりも理解することを選び続けていたんです。

思い描いた幸せからの転落と孤独な育児

すべて彼の機嫌で付き合ったり別れたりしながらも、知り合って6年目、26歳で長男の妊娠を機に結婚。

私なりの理想の家庭を思い描いていた矢先、長男がダウン症であることが発覚。さらに、片耳難聴を持って生まれてきました。

赤ちゃんは新生児集中治療室(NICU)に入り、周りが母子同室を始める中、ただ一人で過ごす病室。

「 母子ともに元気です 」

そんな当たり前に言えると思っていたお決まりのセリフが言えない自分に、ただただ泣き崩れていました。

夫はまるで他人事のようにあまり深く考えていない状況でけろっとしているのに、私は受け入れられない。

両親は一緒に落ち込んでしまって、さらに申し訳ない気持ちでいっぱい。

「 普通 」が羨ましい。ほかの子と変えることができたらいいのに……。

天国から地獄へ墜ちたような感覚で自分を責め続け、確定診断の際には保健師から「 産む前にわからなかったの? 」という心ない言葉や、夫からの拒絶に、私の自己否定はピークに達してしまったのです。

さらに1歳直前、長男が1型糖尿病を発症。同時に24時間の医療的ケアが必要となりましたが、地域で前例がないことから保育園の受け入れも難航していきました。

仕事も諦めざるを得ず、「 世間に自分の居場所がない 」そのような孤独感と虚無感に襲われる日々。

夫は頼りにならない、両親にも迷惑を掛けられない、心情的には誰にも頼ることができず、本音も言うことができず、ただひたすらに「 この子を守る母親 」であることだけで自分の存在を保つギリギリの日々だったように思います。

次男の出産、限界、そして離婚へ

次男はなかなか授からず、不妊治療が必要かもしれないと産婦人科に通院をしながら迎えた2人目の子どもでした。

次男を授かった際、「 出生前診断 」の案内を前に、激しい葛藤に襲われました。

「 検査で事前準備ができる 」という建前の裏には、命の選別という厳しい現実があります。

正解がないと分かっていても、出生前診断で世間が一喜一憂する姿を目にするたび、「 この検査を受けることは、長男の存在や、これまでの歩みを自分自身で否定してしまうのではないか 」と一人で苦しみ、抱え込むようになって行きました。

長男のケアを抱えながらの出産・入院調整も、「 迷惑をかけてはいけない 」と、ここでもすべて一人で背負っていったんです。

次男が2歳になった頃、夫の感情的・物理的な暴力は遂に子どもたちにまで向き始め、私だけならともかく、怯える子どもたちの姿を目の当たりにし「もう限界だ」と覚悟を決め、離婚を決意しました。

けれど離婚後も「 私が一人でしっかり育てなきゃ 」という重圧から、イライラを子どもにぶつけてしまうという悪循環に陥り、「 助けてほしい 」「 自分が怖い 」という悲鳴と共に罪悪感の葛藤を常に抱え込みながら、完全に精神的に追い込まれていきました。

「私」を取り戻し、心理カウンセラーへ

常に自分を責め続ける日々の中で押し寄せてくる現実に、完全に心が悲鳴を上げてしまっていました。本当に限界だったと思います。

「 この私の生きづらさは鬱なのかもしれない 」「 発達障害や、元夫との関係によるカサンドラ症候群かもしれない 」と、当時は少しでも救いを求めて夜な夜なSNSを探し回っていたんです。

そんな中、「 アダルトチルドレン 」や「 愛着障害 」という聞きなれない言葉と出会い、私は言葉を失いました。

そこに書かれているすべてが、まるで自分のことを言われているように感じたのです。

この得体の知れない生きづらさの原因に名前がついたことで少し出口が見え、「 自己否定ばかりの私をやめたい 」「 自分を愛して、子どもたちと笑って生きていきたい 」と心から思い、自分のために一歩を踏み出す決意をしました。

でも、インターネット上の情報だけでは、それ以上どうしていけば良いのか分かりませんでした。

私はドラッグストアで15年間、医薬品登録販売者として薬と向き合ってきた経験があり、だからこそ、心療内科や精神科ではなく、思い切って個人開業の心理カウンセリングルームを選択してみたんです。

この自分のために下した決断が、その後の私の人生を大きく変えていくこととなります。

そのカウンセリングルームでは、私がどんな言葉を口にしても決して否定せず、そのままの気持ちに共感し、温かく迎え入れてくださいました。

カウンセラーの先生に自分の話をするたび、自分でも驚くほど涙が溢れて止まりません。

それは、周囲の目や立場を気にしてずっと言葉にできなかった素直な気持ちを吐き出せたこと、そして「 そう感じていたんだね、話してくれてありがとう 」という、ずっと欲しかった安心感をやっと得られた瞬間だったように思います。

その安心感は、夫からも、母からも、父からも、そして自分自身からも、どれほど頑張っても私にとっては長年得ることができなかった言葉でした。

そのカウンセリングの中で少しずつ時間をかけて感情や言葉を紡いでいき、自分自身と向き合う中で、本当に求めていたのは「 私なら大丈夫だと信じてほしい 」「 そのままの私を見てほしい 」という純粋な想いだったのだと気がついていくことができたんです。

ずっと頑張り続けてきたのは、傷ついた自分自身の心が身につけた、自分なりの不器用な心の守り方でした。でもそれは仕方がなかったと思います。

自分の心を許せるようになってくると、「 我慢せずに自由に振る舞いたい私 」「 シュールなものが好きで笑うのが好きな私 」「 女性らしくいたいけれど実は雑な私 」といった、ずっとずっと忘れていた本来の自分が少しずつ戻ってきたように思います。

そして、心が整ってくると、少しずつ自然と言葉も変わっていきました。子どもが飲み物をこぼした時、以前なら怒っていたのが「 うまくできなかったね 」と、自然と受け止められるようになってきたんです。

言葉が変わると、周囲との関わり方が変わっていきました。子どもたちの笑顔が増え、障がいのない子を育てるお母さんたちに対しても「お互いそれぞれ大変だよね」と自然と思えるようになっていきました。

関わり方が変わると人間関係が変わり、「 いろんな人の考え方に触れてみたい 」と前向きにコミュニティへ飛び込む機会も、徐々に増えていきました。

そしてそこで出会った方々に刺激を受け、子育ても仕事も大切にしながら同時に心理学を学び始めたんです。そして、様々なご縁にも恵まれ、現在、開業カウンセラーとして幅広く活動をさせていただいております。

今、苦しんでいるあなたへ

不安や恐怖から自己犠牲で「 誰かのために 」ばかりで生きるのも、逆に「 自分勝手 」に生きるのも違うと私は思います。

「 人はそれぞれ生まれ持った気質があり、その気質のままに生きられること 」——そのことが、「 私らしい人生 」の素、そのものなのだと、私自身はこの経験を通して学ぶことができたように思います。

自己犠牲ではない、今までとは違う選択ができ、自分自身が頑張り過ぎなくても子どもたちに対応できる、周りにかけがえのない仲間やお友達がいる。そんな今の自分を、いつの間にか私は心から誇らしく思えるようになっていきました。

長男と次男の二人が本当に愛おしく、母も父も元夫も、ここまで生かしてくれた私の大切な人生の登場人物。すべての経験が私の心を育てるために、必要な要素だったのだと今なら思えます。

もちろん、時には心が揺れる日があってもいい。どんなお天気の日があってもいいんです。自分が大切にしたい価値に気づけたなら、そこから何度でも人生を選び直せばいいのですから。

私の人生は、小さな石にも引っかかって転んでばかりの、決してスマートとは言えない道だったのかもしれません。

どうしてこんなに生きづらいのだろうと悔やんだ日々もあります。けれど八方塞がりになったその先で、いつも温かい出会いや、一筋の光に救われてもきました。

だからこそ、確信していることがあります。「 どうすればこの問題を解決できるか 」という相談の場所とともに、まずは「 辛い 」「 本当は寂しい 」「 もう頑張れない 」という胸の奥の声を、安心してそのまま吐き出せる場所と味方が絶対に必要だということを。

今度は私が、あなたにとってのそんな場所でありたい。

「 もう、ひとりで抱え込まなくても大丈夫だよ 」

そう心から思える安心感の中で、あなたが“自分らしい人生”を自分の足で選び取っていくための羅針盤を、一緒に見つけていきましょう。

どんな内容でも構いません。ぜひ、あなたの胸の内にあるお話をお聴かせてください。

精神科でも、心療内科でもない。自身もかつて暗闇の中に立ち、過去にカウンセリングを受け現実的に立ち直っていった経験を持っている立場・視点だからこそ、今のあなたのお悩みをどのカウンセラーよりも深く、優しく、丁寧にお伺いさせていただきます。

それが、私の職業的使命だと考えております。

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